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‘辛い味’ ジェームズ・ガンが料理した ‘適度な味’! このヒーローを見よ、 〈スーパーマン〉に事前に会った感想 (+クッキー)

聖餐顔記者
〈スーパーマン〉 ポスター
〈スーパーマン〉 ポスター

果たして、成し遂げられるのか。世界初のスーパーヒーローキャラクター、スーパーマンがDCユニバースの世界観の扉を開く。スーパーマンというキャラクターの認知度と歴史に比例して、7月9日に公開される<スーパーマン>は多くの人々の期待と疑念が入り混じった視線を受けている。果たして、うまくいくのか。偶然にも劇中のスーパーマンもまた、その期待と疑念が入り混じった視線を受ける。あの異星人、信じてもいいのか。そうした疑念に満ちた世界で、スーパーマンは、そして<スーパーマン>はしっかりと飛び立つことができるのか。観客と共に飛び立つ準備を整えた<スーパーマン>をメディア試写会で事前に見た感想を伝える。


人間、スーパーマン

〈スーパーマン〉 ロイス・レイン役 レイチェル・ブロズナハン(左)、スーパーマン役 デイビッド・コレンスウェット
〈スーパーマン〉 ロイス・レイン役 レイチェル・ブロズナハン(左)、スーパーマン役 デイビッド・コレンスウェット

代々スーパーマンを貫く二つのキーワードがあるとすれば、一つは「神聖」であり、もう一つは「人間性」であろう。異星の惑星クリプトンから送られ、地球に不時着したスーパーマンは、黄色い太陽の力によって人間を超える力と能力、神のような力を得る。それでもアメリカ・カンザスのケント夫妻の下で育ち、人間よりもさらに人間的な思慮深い心を持つクラーク・ケントとして生きていく。そうして彼は圧倒的な身体と高貴な心、つまり神であり人間であるという交差点として時代のアイコンとなった。

そのため、スーパーマンの映像化は通常二つのうちのどちらかに力を入れることになる。DCEUのスーパーマンは完全に前者に近い。<マン・オブ・スティール>(2013)はスーパーマンが彷徨い、世界を守る人物として生まれ変わる過程を描いているが、その過程で「クラーク・ケント」が経験する日常的な人間の生活はほとんど排除されている。最後に至ってようやくクラーク・ケントがデイリー・プラネットに入社することになる。続く作品でも当時DCEUを牽引していたザック・スナイダーはスーパーマンの超人的な面を強調し、神聖なイメージと宗教的クリシェを加えた行動で彼を描いた。

〈スーパーマン〉
〈スーパーマン〉

<スーパーマン>は人間側にもう少し力を入れている。その意図は映画のオープニングから伺える。赤と青の光が広がるタイトルは1979年から続くクリストファー・リーブの<スーパーマン>シリーズをオマージュしていることは明らかである。(区別のためにスーパーマンと表記する) <マン・オブ・スティール>とは異なり、<スーパーマン>シリーズはおっちょこちょいのクラーク・ケントが日常で経験することを愉快に描いている。ジェームズ・ガンはその時代の<スーパーマン>の痕跡を映画の至る所に配置し、神聖なスーパーマンではなく人間クラーク・ケントの面も見逃さない。

だからといってスーパーマンの能力描写を後回しにするわけではない。<スーパーマン>は彼の怪力のような力を中心に据えない。力の体感は結局破壊を引き起こすため、彼のスピードや無敵に近い身体、超能力で人を救う瞬発力を描写することに最大限焦点を当てる。一方、いくつかの予告編に含まれているように、スーパーマンの飛行シーンを近くで捉え、観客が彼と共にいるような感覚を引き起こす。ジェームズ・ガンは観客にとって彼が信頼できる人物であり神のような存在であっても、破壊をもたらす災厄ではなく守護神に近いことを繰り返し強調する。

〈スーパーマン〉 レックス・ルーサー役 ニコラス・ホルト
〈スーパーマン〉 レックス・ルーサー役 ニコラス・ホルト

その過程で描かれるヴィランとしてのレックス・ルーサーの描写は卓越している。神でありながら人間的なスーパーマンと対比して、レックス・ルーサーは優れた戦略と執拗な信念を武器にする。そうしてスーパーマンを自分の思い通りにコントロールすることに成功したレックス・ルーサーは、しかし決して素晴らしい人物として描かれるわけではない。彼の信念はすぐにすべてをコントロールしなければ気が済まない姿に繋がり、「天才」であり「悪人」であることが明確に描写される。こうして一人の人間が持ちうるさまざまな姿をレックス・ルーサーを通じて描くことで、それがスーパーマンの人間として当然の心構えと対照され、レックス・ルーサーをより豊かな人間像として完成させる。また、スーパーマンの恋人ロイス・レインが「普通の人」でありながらデイリー・プラネットのスタッフと協力してレックス・ルーサーの足を引っ張る過程は、ロイス・レインを単に「スーパーマンの恋人」の位置に留めず、主体的な人間像を描こうとする意図が自然に溶け込んでいる。


監督、ジェームズ・ガン

〈スーパーマン〉
〈スーパーマン〉

キャラクターに対する描写はジェームズ・ガンの得意技として定評がある。<ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー>シリーズ、<ザ・スーサイド・スクワッド>など、さまざまなヒーローを登場させながらも彼ら各自の性格と個性を鮮明に描いたジェームズ・ガンは<スーパーマン>でも同じ戦略を成功させる。情報公開当時、ユニバースの最初の映画にもかかわらずスーパーヒーローキャラクターがあまりにも多く登場することに懸念が集まったが、映画はこれらすべてを各自の個性を的確に活用する。特に今回の映画のシーンスティーラーはスーパーマンのペットクリプトとジャスティス・ギャングのミスター・テリフィックである。クリプトは犬の習性を通じて観客を笑わせながら、スーパーマンの頼もしいサイドキックとしても劇中で活躍する。韓国だけでなくグローバルな単位でも「マイナー」であるミスター・テリフィックは最も印象的な名シーンを演出する。彼がロイス・レインを安全に守りながら敵を制圧するロングテイクシーンは、ジェームズ・ガンの長期的な名曲選曲と共にシナジーを生み出し、彼の能力を華やかにアピールする。グリーンランタンの中でもメジャーとは言えないガイ・ガードナーもキャラクターの性格を適切に活用し、今回の世界観のユーモラスな態度を示す。異星から来た少年に地球と人間、世界の美しさを教えたケント夫妻も素朴で深い愛を見せ、少ない分量にもかかわらず印象的である。イザベラ・メルセデスのホークガールやデイリー・プラネットのスタッフはやや平面的に活用されるが、俳優の演技に助けられ生き生きとした雰囲気を作り出すのに貢献している。

一つのユニバースを開く映画として、そして夏の劇場を狙ったブロックバスターとして<スーパーマン>は申し分なく素晴らしい映画である。ただし、より強烈であった可能性を残しつつ、ややぼやけた印象が残るのが残念である。ジェームズ・ガンがこれまで見せてきた作品に比べると<スーパーマン>は好悪がない代わりに彼自身の魅力が少し不足している。ジェームズ・ガン監督の長所、さまざまなキャラクターのシナジーを生み出す感覚、卓越したユーモア、平凡なストーリーさえ予測不可能にする適材適所のプロット構成は今回の作品でも健在である。ただし、これまで彼が手がけた作品のほとんどは救いようのないキャラクターや次々と起こる制御不能の状況、誰にでも適合するわけではないが好みが合えばクスクス笑える悪趣味なユーモアを内包していた。<スーパーマン>の世界はそうではない。ジェームズ・ガンはそうしてはいけないことを知っている真のコミックファンボーイであり、今回の作品で適度な「線」を守った。このように素晴らしいバランス感覚でブロックバスターの魅力を誇示する<スーパーマン>は彼の長所と限界がこれほどまでに鮮明に現れている。

〈スーパーマン〉
〈スーパーマン〉

それでも、<スーパーマン>はスーパーヒーロー物の美徳、スーパーマンというアイコンの価値、全世界が愛した絶対的善の象徴を卓越して復元した。クリストファー・リーブの<スーパーマン>を記憶するファンであれば、おそらくオープニングから最後まで心がドキドキするだろう(私情を述べると、私はすぐにもう一度見たいと思った)。一見、入り口のハードルが高そうに見えるが、作品内で必要な部分はすべて説明しているため、体重を上げることに急いでいるユニバースに疲れた観客にとっても適切な選択となるだろう。ユニバースの最初の章として期待と負担を同時に背負ったスーパーマンが、今回の映画の成功で空に飛び立つことができるか見守りたい。

+ クッキー映像は2つ。1つはメインエンドクレジットが終わった後、もう1つはすべてのクレジットが終わった後に出てくる。残念ながら、あるいは幸いにもユニバース関連のクッキーではないため、義務的に見る内容ではない。