
これほど短期間に多様なメディアで展開された作品は稀だ。2021年発表の藤本タツキによる短編漫画 「ルックバック」は、「このマンガがすごい!オトコ編」で1位を獲得するなど高い評価を受け、2024年のアニメ公開に続いて2026年には実写映画として公開された。今回の実写版は、是枝裕和が脚本と演出を手がけ、今年の期待作の一つとして大きな注目を集めた。
9月27日、映画〈ルックバック〉が韓国でプレス・業界向けの試写会を行った。原作短編とアニメ版の双方に触れてきた立場から見ると、映画〈ルックバック〉は原作とアニメの物語を受け継ぎつつも、映画という媒体に合わせ、原作・アニメとは少し異なる角度から感情を描き出していると強く感じられた。アニメに比べて約40分長くなった映画は、どの部分を補完したのか。既存の二作と比較しながら見ていこう。
「私たち」の世界、「世界」の私たち


藤本タツキ作の 「ルックバック」は、漫画を描く小学生・フジノ・アユムが、不登校の同級生で自分より飛び抜けて絵のうまいキョウモトと出会い、共に過ごす時間を描く作品である。約140ページの短編で、互いに憧れ合う二人の友情と、成長に伴って関係が変化していく過程、そして創作の道を志す人物たちの心情を繊細に描き、人気を博した。
実写映画 〈ルックバック〉は意外にも、大きな事件や新たなエピソードを加えず、物語の原型を可能な限り忠実に再現している。それでも約40分が追加されたのは、映画が既存の作品に比べて描写を細部まで掘り下げているためだ。中でも最も大きな差は、フジノの周囲の人物描写である。原作ではフジノは序盤を除き、ほとんどの場面でキョウモトか単独の状態で描かれる。特に小学生の物語とは思えないほど、両キャラクターとも家族描写はほとんどない。かろうじてフジノの姉が親について語る場面があり、フジノの日常は背景として描かれるにとどまる。映画 〈ルックバック〉はこの点を補強している。フジノの母は頻繁におやつを用意し、時には漫画を描くフジノのそばで静かに見守る。父親もさりげなく現れて、冗談めかして創作のヒントになりそうなものを渡す。
加えて、フジノの担任や購買を担当する生徒もフジノの漫画を褒める場面が加わり、ささやかではあるがフジノの支えになる。こうした描写が物語に劇的な変化をもたらすわけではないが、なぜフジノがキョウモトに出会う以前から漫画への愛情を保ち続けられたのか、その基盤を示している。キョウモトもまた作中で祖母に言及し、孤独でありながらも世界の中に存在していることをさりげなく示す。日本の人気俳優・菅田将暉が演じる編集者の台詞が増えているのも、単に彼のスター性に依拠したものではなく、こうした方向性と一致しているためだ。漫画やアニメが相対的に省略に向く点を考えれば、映画は人物とその周辺環境を映し出す特性が際立つ。〈ルックバック〉はこのように関係性を補完し、視覚と聴覚を通じて彼らが生きる世界全体を俯瞰的に捉え、さまざまな感覚に訴えかける。
※ 以下の内容には原作と実写映画の結末に関するネタバレが含まれます。
純粋美術からアニメーションへ
キョウモトに関する描写で変化が見られるのは、キョウモトが美術大学進学を決める場面である。既存作品でキョウモトが見ている画集は「背景美術の世界」とされているが、映画版ではこれをスタジオジブリの背景担当・男鹿和雄の画集に差し替えている。この点は終盤の演出とも直結する。キョウモトの部屋でフジノは彼のこれまでの制作物を目にする。その習作群はすべてキョウモトの主観で再解釈された、フジノとの時間の断片であり、二人の時間が暖かく、喜びに満ちていたことを明確に示している。これは原作でフジノがキョウモトの部屋で自分の漫画を見つけて読む場面と似てはいるが、趣は異なる。基本的にキョウモトがフジノとの時間を回想していることをほのめかす点は同じだが、彼がその時間を自分なりの表現で昇華していることを強調し、キョウモトもまたフジノとの別れの後に成長していたことを示唆する。



これは先に述べた、フジノがキョウモトのためにさまざまな写真を撮って渡す行為ともつながる。フジノが渡した写真は一瞬を切り取るものである。それを受け取ったキョウモトは漫画の中にその空間を、切り取られた時間を反映させる。しかしアニメーション(そして映画)は時間を切り取るのではなく、流れを見せるものだ。漫画や写真が瞬間の記録であるのに対し、アニメと映画は流れる時間の美学である。去ってしまったキョウモトを二度と掴めない現実は、むしろ後者の感覚で受け止めるほかない。フジノはキョウモトが残した、流れ去った時間の痕跡を見た後、再び机に向かって漫画を描く。是枝裕和が実写化にあたり、あえてスタジオジブリの名を挙げてアニメーションを想起させたのはそうした文脈だろう。美しい時間もいつかは過ぎ去る。だからこそ手放すことも覚えなければならない。特に単なる回想のモンタージュではなく、作中でキョウモトが描いたものとしてアニメのモンタージュを紡いだことは、その時間を消化して前に進む心の大切さまで含んでいるのではないか。長年映画を作り続けて現在の地位に至った是枝裕和が抱く、思い出と時間と関係性とそれらすべてがこうして染み込んでいるのだと感じた。



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