メリル・ストリープのすべて ③『ザ・ポスト』から『プラダを着た悪魔2』まで――ウーマン・イン・ハリウッド!

「メリル、あなたが立ち上がればきっとみんな立ち上がりますよ。」 メリルが笑いながら立ち上がると同時に、その場にいた女性プロデューサー、監督、脚本家、撮影監督、作曲家、デザイナーまですべてが立ち上がった。

〈ザ・ポスト〉
〈ザ・ポスト〉

〈ザ・ポスト〉

スティーブン・スピルバーグのフェミニズム映画


マイケル・コーネリーの刑事「ヘイリー・ボッシュ」シリーズの第1作である〈ブラック・エコー〉では、ヘイリー・ボッシュはベトナム戦に従軍した際に見た恐ろしい悪夢に苦しみながら生きている。ある日、自分とともにベトナムで“トンネルラッツ”(Tunnel Rats)部隊に所属していた戦友の遺体に出くわす。ベトコンが掘った無数のトンネルに入って、捜索や爆弾の設置などの掃討作戦を担当していた兵士たちをそう呼んだのだが、トンネルの中で罠にかかったり仕掛けに引っかかったり、銃剣で突かれたりすることすら珍しくないほど、その任務は危険極まりなかった。 当時、ベトコンたちの隠れ家として非常に重要だったそのトンネルは、どれも入口が小さかった。大柄な米軍兵が入れないようにするためだったからだ。 その結果、小柄な人間が多く選ばれざるを得ず、数多くのヒスパニック系の兵士たちがトンネルラッツ部隊の一員として活躍した。

〈ザ・ポスト〉
〈ザ・ポスト〉

ベトナム戦当時のヒスパニック系の兵士たちの話を持ち出したのは、スピルバーグの〈ザ・ポスト〉の、ほぼ最後に近い法廷シーンが理由だ。法廷に向かう〈ワシントン・ポスト〉の社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は、政府側の若い女性スタッフの案内で、列に並ばず現場へ向かう。そのスタッフは政府側に属していながらも、「前の夫人が勝てばいいと思います」と言い、さらに「わたしのお兄ちゃんもまだベトナムにいるんです」と付け加える。当時、ベトナム戦は後半へと加速し、数え切れないほどの黒人やヒスパニック系の兵士たちがベトナムへ向かった。兵士になることは、アメリカ社会の一員として堂々と認められることでもあったからだ。涙が出るほど命を賭けても、認められて生き残りたかった。そうして、黒人やヒスパニック系の兵士たちがベトナム戦で勇敢に戦ったと語られることが多いが、言い換えれば、白人の男性兵士たちよりもさらに危険な任務に投入されていた、ということでもある。合計すると、ベトナムに派遣された全兵士の約10%ほどだが、死者の20%はまさに彼らだった。はるかに多くが亡くなっていたのだ。ベトナム戦は、テレビ中継された史上初の戦争だった。しかし一般の人々は、〈ザ・ポスト〉に描かれているように、その実態を十分に知れていなかった。

〈ザ・ポスト〉
〈ザ・ポスト〉

スピルバーグは、映画を通してアメリカの近現代史を記録してきたと言っても過言ではない。南北戦争の時代を扱った〈リンカーン〉をはじめ、〈ウォー・ホース〉で第一次世界大戦を描き、〈『ヒトラー~“ナチの犬”と言われた男』〉 〈シンドラーのリスト〉 〈プライベート・ライアン〉を通して、とりわけ第二次世界大戦を多く扱ってきた。〈スパイ・ブリッジ〉もまた、東西冷戦が極めて激しかった1957年を舞台にしている。 ところが同年代の監督たちと比べると、ベトナム戦には妙に無関心だった。しかも1969年が舞台の〈キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン〉や、1972年のミュンヘン・オリンピックを扱った〈ミュンヘン〉など、時代的にはベトナム戦(1960〜1975年)と背景が重なる作品を2度も作っているのに、ベトナムについては特に語ることがなかった。だからこそ、一方ではスピルバーグがベトナム戦の記憶を意図的に避けているのでは、とも考えてしまう。

〈ザ・ポスト〉
〈ザ・ポスト〉

そうした点から見ると、〈ザ・ポスト〉はスピルバーグにとって最初のベトナム戦映画なのではないかと思える。さらに、先ほど触れたように、兄をベトナムへ送り出した政府側のヒスパニック系の若い女性スタッフまで登場させて、〈ワシントン・ポスト〉のウォーターゲート事件の報道を扱った別の作品〈大統領の陰謀〉にはまったく登場しなかったキャサリン・グラハムを含めて、より広い視野と豊かなディテールを備えたフェミニズム映画として仕上げたのだ。メリル・ストリープの存在感は、これまであまり注目されてこなかったキャサリン・グラハムに、豊かな物語を贈っている。新聞社の男性役員たちの間で思い悩み、そして事実上の最終決定権を握る女性として重要な選択を下す場面は圧倒的だ。そしてそれは、メリル・ストリープだからこそ圧倒的なのだ。 いずれにせよ、観ているあいだずっと感嘆した〈ザ・ポスト〉のいちばん素敵な締めくくりは、若いヒスパニック系の女性と向き合うキャサリン・グラハムの堂々たる姿だった。 しかし続くシーンでは、白人の男性先輩に叱られていたそのスタッフが、その後政府の中でうまく昇進して耐え抜いたのか、それともその兄はベトナムで生きて帰ってこられたのか……と考えると、胸が重くなる。だからさらに調べてみると、1968年にサリー・チゾムが最初の黒人女性下院議員として登場したのに対し、ヒスパニック系の女性は2009年になってようやくソニア・ソトマイヨールが最初のヒスパニック系女性の連邦最高裁判事に任命された(オバマ大統領の任命)。そして2016年にはキャサリン・コテス・マストが、最初のヒスパニック系女性上院議員になった。あのスタッフは、その後いったいどれだけ大きなガラスの天井を打ち破って生き抜かなければならなかったのだろう。

〈ウーマン・イン・ハリウッド〉


タイムズ・アップ!――インクルージョン・ライダーへ


ハリウッドの“ガラスの天井”の話をするなら、メリル・ストリープほどの、ある種の「代表性」を備えた俳優がいるだろうか。メリル・ストリープは、デビュー以来、いまも生きる伝説と呼んでもいいほど一貫している。ハリウッドで唯一無二の大女優として盤石の地位を守るメリル・ストリープは、2018年の第90回アカデミー賞で〈ザ・ポスト〉によって主演女優賞にノミネートされ、アカデミー史上最多となる通算21回のノミネート記録を樹立した。これは、前年にメリル・ストリープ本人が作った20回のノミネート記録を更新し、通算12回のノミネートで2位のキャサリン・ヘプバーンやジャック・ニコルソンと圧倒的な差を見せている。 ただし受賞面では相応に恵まれていない。歴代アカデミーで最多の受賞記録を持つキャサリン・ヘプバーンが4回、フランシス・マクドーマンドとイングリッド・バーグマン、そしてメリル・ストリープがそれぞれ3回受賞している。

メリル・ストリープ(左)とフランシス・マクドーマンド
メリル・ストリープ(左)とフランシス・マクドーマンド

まさにフランシス・マクドーマンドとメリル・ストリープの絶妙な呼吸が光った、2018年の第75回ゴールデン・グローブ賞では、受賞者よりも「ブラックドレス」が主役だった。エマ・ワトソン、メリル・ストリープ、ナタリー・ポートマンなどのハリウッドの女優たちが、セクハラや性暴力に抗議するためブラックドレスを着て大勢出席したからだ。「タイムズ・アップ」(Time’s Up)――その意味は「もう終わりだ」ということ――の「タイムズ・アップ」は、ハリウッドの俳優、プロデューサー、脚本家など女性300人あまりが、セクハラや性差別に反対するため同年1月1日に結成した運動団体であり、その最初の公式イベントがまさにゴールデン・グローブ賞だった。とりわけこの日の授賞式で、〈スリー・ビルボード〉(2017)で争っていた〈ザ・ポスト〉(2017)のメリル・ストリープを押しのけて主演女優賞を受賞し、ほかの女性映画人にもこの運動への参加を呼びかけた。 「いまこの場にいる各部門の女性候補者のみなさん、わたしと一緒に立ち上がってくれませんか。本当に感謝します」と話したものの、みんながためらってしまい、メリル・ストリープを指名して立ち上がってほしいとお願いした。 「メリル、あなたが立ち上がればきっとみんな立ち上がりますよ。」 そうして、メリルが笑いながら立ち上がると同時に、その場にいた女性プロデューサー、監督、脚本家、撮影監督、作曲家、デザイナーがすべて立ち上がった。そしてフランシス・マクドーマンドは、「インクルージョン・ライダー」(Inclusion Rider)という2つの言葉を力強く語ることができた。インクルージョン・ライダーとは、映画を制作する際に、俳優とスタッフの性別・人種的な多様性を一定水準以上で保証する、という内容の契約条項を指す。女性や有色人種、性的マイノリティ、障がいのある人などを、制作のプロセスから排除せず「含める」べきだ、という考え方だ。たとえ受賞はできなかったとしても、客席にいたメリル・ストリープは誰よりも眩しく輝いていた。ハリウッドで、メリル・ストリープはまさにそういう存在だ。

映画人

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