![映画『マイ・ネーム(仮題)』のワンシーン[レッツフィルム・アウラピクチャーズ提供]](https://cdn.www.cineplay.co.kr/w900/q75/article-images/2026-04-02/affde9f4-4494-4f08-a50b-9d76e47b7249.jpg)
そっとしまい込んでおきたいけれど、そうしてはいけない物語がある。そして、そんな物語をきちんともう一度掘り起こし、大衆の記憶を呼び戻す監督がいる。4月15日公開の〈『マイ・ネーム(仮題)』〉のチョ・ジヨン監督だ。チョ・ジヨン監督はこれまで、レジスタンス勢力(〈南部軍〉)、ベトナム従軍兵のPTSD(〈『白い戦争』〉)、独裁政権下の強圧的な取り調べ(〈ナムヨンドン1985〉)など、韓国社会で特にセンシティブに扱われるポイントを、ためらわず作品へと取り込んできた。今回の作品〈『マイ・ネーム(仮題)』〉もまた、母と息子、そして“母の物語”を軸に、韓国近現代史の中で何度も掘り起こされ、あらためて照らし直されてきた出来事を引き出していく。〈『マイ・ネーム(仮題)』〉に出会う前後に、あわせて観たい映画3本を紹介しよう。
〈『チソル』〉

ネタバレを避けるために冒頭では触れなかったとしても、〈『マイ・ネーム(仮題)』〉が済州4・3事件を扱うというのは、ある程度は知られている。そして、済州4・3事件の話題を出すなら、この作品は外せない。オメル監督の〈『チソル』〉は、映画界でほとんど顧みられてこなかったこの事件を描いたのはもちろん、韓国映画として初めて、海外のサンダンス映画祭で審査員賞(ワールド・シネマ・ドラマ競争部門)を受賞し、独立映画ではとても想像できないほどの注目を集めた。

その事件を、地域性で括らない形で描き出すのが〈『チソル』〉の核だ。実際に済州出身のオメル監督は、済州方言を使える俳優たちを起用し、当時の空気をさらに鮮やかに立ち上げた。じゃがいもを指す済州方言の「チソル」という、聞き慣れない単語をタイトルに選んだだけあって、映画全体を通して“済州の住民としての姿勢”が自然に立ち上がってくる。単なる事件の描写や再現にとどまらず、もう一歩先へ進む映画ならではのエンディングも印象的だ。もちろん、一部からは「4・3の前後の文脈がないせいで誤解の余地が多い」という声もあったが、当時の近現代史でほとんど光が当たってこなかった出来事を水面へ引き上げたところにこそ、映画の力がある。
〈『ハラン』〉

考えてみれば、〈『ハラン』〉は〈『チソル』〉と〈『マイ・ネーム(仮題)』〉の“中間地点”にあるような映画だ。〈『チソル』〉が、映画的な形式を借りた鎮魂の儀式として当時の魂をなだめるのだとすれば、〈『マイ・ネーム(仮題)』〉は、母と息子の物語を通して時代を超えた暴力を現在まで広げていく。では〈『ハラン』〉は、当時の状況をより細部まで見つめる。アジン(キム・ヒャンギ)と娘のヘセ(キム・ミンチェ)が、済州の討伐作戦のど真ん中で生き延びるために送った時間を描く〈『ハラン』〉では、被害者だけでなく加害者側の視点も取り込まれている。国軍の討伐隊にも苦しむ者がいる一方で、それでも“理想”にとらわれたまま、同じ境遇の避難民にまで脅しをかける産軍部隊も登場する。こうして〈『ハラン』〉は偏りをできる限り減らし、何も知らないまま流されてしまった人々に焦点を当てる。

脚本・演出を担当したハミョンミ監督は、済州出身ではないが、10年以上済州に住みながら、済州4・3事件を映画化しようと決めた。軽い気持ちで始めたプロジェクトではなかったからこそ、当時の資料を調べ尽くし、事件の背景となる場所をカメラに収め、記録に残された言葉を台詞にも入れていった。昔の済州方言をできる限り事実的に捉えるために、言語指導だけでも10人を起用。その結果、試写に参加した済州の住民たちでさえ「完璧だ」という反応を示した。
〈『チョグン・ヨンチョン』〉

〈『チョグン・ヨンチョン』〉は済州4・3事件を扱わないものの、軍人による民間人虐殺という“戦争の暴力”を描くという点で、同じラインに置いて語れる。6・25戦争当時、忠清北道の永同郡で起きた「ノグンリ事件」を映画化したのだ。〈『チョグン・ヨンチョン』〉制作当時、特に話題を集めたのは、舞台演出家のイ・サンウが映画の演出に挑むという点、そして彼を支えるために、多くの舞台俳優や舞台出身の俳優たちが、ほんの数秒のためであっても撮影現場に駆けつけたということだった。(実際の映画では、この住民たちの顔を見合わせていた米軍兵士たちは命令に従っただけだ、という観点は保っているが)もともと、猛友(メンウイ)米軍が起こした事件だったため、財政的支援や投資を受けにくい映画は、かなり長い時間が経ってからようやく公開できた。「村の人たち“みんな”が主役の映画」を志向した作品であるだけに、日常の風景を通り過ぎて、突然押し寄せる悲劇の衝撃が、いっそう大きく感じられる。映画から伝わってくる季節感も含め、この物語は“私たちの国、私たちの時代”のものだと、強く実感させてくれる。



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