
コメディークルー「パドナス」(BDNS)を率いるムン・サンフンは、過去1年余りにわたりカンヌ、ロサンゼルス、香港などを巡って「最高のコメディー映画」を探し続け、ただ1本だけ選んだ作品としてカナダ映画〈ニルヴァーナ・ザ・バンド〉を挙げ、その選択が話題になった。字幕翻訳に参加したミュージシャン、タブロの名も期待をさらに高めた。ムンは鑑賞前に二つのお願いを伝えた。第一に、最も親しい友人と必ず大きなスクリーンで観ること。第二に、これ以上情報を集めず、まずは観てから周囲に得意げに語って回る楽しさを味わってほしい、というものだ。本稿では、ムンが共有した後記とともに、本作の魅力を紹介する。

物語の主人公であるデュオ、マット(マット・ジョンソン)とジェイ(ジェイ・マッキャロル)は、『スポンジ・ボブ』の登場人物であるスポンジ・ボブやスクイッドワード、さらにはバラエティ番組『無限挑戦』に登場するハハとスにも匹敵するほどの奔放さを見せるコンビだ。マットが2,134,542,343回目ほどになる突飛な作戦を展開すると、ジェイはピアノを弾いて彼のユーモアに合わせて伴奏を入れるという見事な呼吸を見せる。休む間もなく冗談をやり取りする彼らは、実に17年前からの友人である。マットとジェイはカナダ、トロントの有名クラブ「リヴォリ」での公演を実現するために長年苦闘してきたが、肝心の現実的な方法には目もくれず、奇想天外な作戦ばかり繰り出す。CNタワーのエッジウォークから飛び降り、そのままパラシュートでロジャース・センターのドーム球場内に着地するスカイダイビング作戦を敢行したり、キャンピングカーを改造してタイムマシンに仕立て上げて時間旅行を試みたりする。しかしマットの突飛な計画はことごとく頓挫し、17年もの間何も成し得なかったジェイはようやく自らの現実を自覚し、独り立ちを決意する。ところが突然、彼らのタイムマシンが作動し、2025年のマットとジェイは2008年に戻る。過去のより純粋で楽観的な若き自分たちと再会した二人は、バンド活動と友情、それぞれの選択を振り返る。
低予算モキュメンタリーとSFの異色の結合

〈ニルヴァーナ・ザ・バンド〉は一朝一夕に生まれた作品ではなく、20年近く続いてきた創作プロジェクトを映画へ拡張したものだ。出発点は2008年にマット・ジョンソンとジェイ・マッキャロルが自ら制作したウェブシリーズ『ニルヴァーナ・ザ・バンド・ザ・ショー(Nirvana the Band the Show)』にある。その後、ウェブシリーズはテレビシリーズへと発展し、今回の映画はその流れを総括すると同時に新たな表現へと拡張した成果である。監督のマットは、もともとモキュメンタリーであったウェブシリーズを映画化する過程で、タイムマシンを用いた時間旅行というSF的設定を付け加えた。現実と虚構の境界に立ちつつ現実をそのまま模するドキュメンタリー撮影手法と、幻想への接近を志向するSFが出会うことで、新鮮で独特な手触りを生み出している。ゲリラ的な手法で撮影された映画は終始、現実と虚構の境界を曖昧にする。劇中では公衆の場や店舗など実在の場所で出会った人々にマットとジェイが突飛な計画を説く場面が繰り返され、どこまでが即興で、どこからが脚本なのか判然としない。


〈ニルヴァーナ・ザ・バンド〉が時間旅行SFへと生まれ変わった背景には、ロバート・ゼメキス監督の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)の影響が大きい。物語は大筋から細部に至るまで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の要素を借用し変形させている。〈ニルヴァーナ・ザ・バンド〉でタイムマシンに改造されたキャンピングカーは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンを想起させ、彼らのキャンピングカーはプルトニウムで動くデロリアンのようにオビッツ飲料を燃料として動く。過去を変えた影響で現在が変わってしまい、その過ちを正すために再び過去へ戻るという筋立ては、1作目と2作目の要素を併せ持っている。なかでも雷を利用してタイムマシンを起動する場面は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の名場面を直接想起させる。
時代を見極めるユーモア

〈ニルヴァーナ・ザ・バンド〉におけるユーモアは、作品の面白さを支える中核であると同時に、時間旅行映画として時代の空気を測る物差しにもなっている。監督は時間旅行という設定とコメディを組み合わせることで、ユーモアがいかに時代に敏感に反応する社会的な装置であるかを示す。2008年に戻ったマットとジェイは劇場で『ハングオーバー』(2009)を鑑賞し、その中の「ホモ」と発言して性的少数者を侮辱するギャグの場面を引用する。かつてはメインストリームに存在した人種・ジェンダー・性的少数者を侮辱するユーモアも、いまでは想像力を欠いた無理解な言葉として受け止められる。そのため、現代の感受性にそぐわないユーモアに観客が大笑いする光景に耐えられなくなったマットは劇場を飛び出す。この場面は、当時ユーモアを批判的に受け止めていなかったかもしれない過去の自分への自己反省でもある。また映画は、マットとジェイがラッセル・ピーターズの人種ネタを論じる場面や、ウィル・スミスによるクリス・ロックへの暴行事件を風刺する場面を通じて、ユーモアの重みについて語る。〈ニルヴァーナ・ザ・バンド〉はユーモアを単なるギャグではなく、どこまで冗談を許容するかという集団的合意を更新していく社会的な装置として捉えている。同時にユーモアは社会の笑いを生み出す一方で、誰が社会の中で他者化されているかを露呈するリトマス試験紙のようでもある。このように〈ニルヴァーナ・ザ・バンド〉は、時代とともに変わるユーモアの価値に加え、コメディアンの倫理的役割についても問いかけている。



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